2013年4月8日

〈イアン・アンダーソン インタヴュー〉ジェスロ・タルのイアン・アンダーソン来日公演が近づいてきた!

Top_TAAB-2012

◎ジェスロ・タル(Jethro Tull)の頭脳イアン・アンダーソン(Ian Anderson)の来日公演(4月15日/大阪公演、16日/東京公演、17日/クラブチッタ追加公演)が近づいてきた。今回の来日は『ジェラルドの汚れなき世界』を完全再現を行なう予定となっており、名作がどのように再現されるのか注目されている。今年(2013年)1月にストレンジ・デイズ誌が敢行した、イアン・アンダーソンへのインタヴューを160号より抜粋して掲載いたしましたので、こちらを読んで待望の来日に臨もう。

 

Ian Anderson Band 2012

イアン・アンダーソン インタヴュー[SD160]
インタヴュー=ミカエル・ビョルン/翻訳=池田聡子

○ジェスロ・タルで、イアン・アンダーソンは、ブルースからフォークまて、プログレッシヴ・ロックからエレクトロニック・ミュージックまで、ハード・ロックからワールド・ミュージックまで、たくさんの音楽スタイルをカヴァーしてきた。同時にイアンの歌詞は、極端に濃厚で、無意味で、はっきりしないものだった。訳がわからないと考えるかもしれない。にもかかわらず、訳がわからないことはジェスロ・タルの魅力の鍵だ。そしてそれは、どんな人の予想よりも一枚上を行くイアン・アンダーソンの並外れた能力の効果でもある。ひとりのジャーナリストが、60年代後期のマーキーでのステージの際、彼が片足でバランスを取りながらフルートを吹いたことを間違って書くと、イアンは、ジャーナリストのその記述を逆手にとり、その後、一本足のフルート奏者というイメージのアイコンに変えてみせた。同様に、ジャーナリストたちが、ジェスロ・タルが1971年にリリースした『アクアラング』をプログ・ロック・アルバムとして間違ってカテゴライズすることを譲らなかった際も、イアンは、彼らの説明を超えるアルバムを作ってみせることを決心した。『ジェラルドの汚れなき世界』でジェスロ・タルは、実際それまでのどのプログ・ロック・アルバムをも凌いでみせた。『ジェラルドの汚れなき世界』は、1曲で構成された初のロック・アルバムだ。EL&Pとイエスを合わせたものよりも複雑であり、新聞仕様のアルバム・ジャケットから、詩的にも音楽的にも一貫性を持っていることまで、すべての部分でコンセプトを持っていた。にもかかわらず、そこで語られるストーリーは、あらゆることを皮肉ることによって……8歳のジェラルド・ボストックが醜悪な完成した詩で育ったことに想いめぐらせる……コンセプト・アルバムというものを彼らの極端ともいえる結論につなげている。『ジェラルドの汚れなき世界』は70年代の極めて重要なアルバムの一つだ。ユーモアと茶目っ気でいっぱいのトロイの木馬は、シリアスなロック音楽の壁の背後にまんまと入り込んだ。

――1972年にリリースされたオリジナルの『ジェラルドの汚れなき世界』がどのように生まれたのか話していただけますか?

「そうだな……1971年、わたしたちは『アクアラング』をリリースした。このアルバムは、さまざまな点でシンガー・ソングライター系の作品だった。ある種の歌集のようなもので、コンセプト・アルバムではなかった。けれどもコンセプト・アルバムとして広く評価された。おそらくその他のアルバムのように、あのアルバム・ジャケットにはコンセプトを暗示するようなものが描かれていたからかもしれない。アルバム・カヴァーには、クリスマスのプレゼントをラッピングしてあるような暗示が示されていた。きみがそれを店で買って直接手渡すのはOKだ。しかしそれをラッピングすると、ちょっとしたミステリーになる。きみは、包んであるものを破って開けて、そこにあるものがわかるまでそれが何であるかがわからない。アルバム・カヴァーというのは、そんな感じのものなんだ。ちょっとしたミステリー、ちょっとした緊張、ちょっとしたドラマを作り出すことができるんだ。それが、わたしが『アクアラング』でやったことだ。けれどもコンセプト・アルバムではなかった。わたしは、“これはコンセプト・アルバムではない”と言い続けた。しかし誰も耳を傾けなかった。だから次のアルバムを作るとき、『アクアラング』はそうではなかったということを、ちょっした皮肉ったやり方で示すためにコンセプト・アルバムをリリースする、ということが非常にしっかりと自分の頭の中にあったんだ。そしてそれは、EL&Pやジェネシス、キング・クリムゾン、イエスといったバンドから生まれていたような、プログ・ロックの壮大な他の作品やコンセプト・アルバムのほとんどパロディのような、やり過ぎなものにすることだったんだ。だからわたしは、“わたしたちは、音楽的には複雑で、かなりシュールで、かなり優美な詩の内容で、こうしたバンドがやっていることを超えた何かオーディエンスに与えるだろう”と思った。そしてそれは、8歳の少年が書いたものというかなりバカげたアイデアのものだった。かなり度を超えたものだった。きみが気に入っているんなら、当時のプログ・ロック仲間よりも一枚上を行っていたんだな(笑)」

――『ジェラルドの汚れなき世界』はどのようにして作られたのですか?

「1971年の終わり頃、まだツアー中にごくオープニングのラインを描いたと思う。
〈Really don’t mind if you sit this one out(これを終わりまで聞かなくても、いっこうにかまわない)〉……というセクションだね。そしてそこから続く部分を書くプロセスに入った。そして毎朝わたしは、音楽と詩の次の2~3分を書いた。それから午後にはメンバーに会うためにリハーサル室に行っていた。そしてその朝書いたものをリハーサルして練習した。そして前日リハーサルしたものの上にそれを加えた。だから毎日ちょっとずつ加えていったんだ。非常にオーガニックで極めて自然発生的なやり方で行なっていたんだ。だからリライトもなかったし、リレコーディングもなかった。マスター・テープは、すべての音楽を順番に収録してあり、アウトテイクやエクストラ・トラックというものはない」

――なぜオリジナル・アルバムから40年を経て『ジェラルドの汚れなき世界 2』を作ろうと思ったのでしょうか?

「オリジナル・アルバムをレコーディングして以来長年、多くの人たちから続編を作らないのかということを聞かれてきた。しかしわたしは続編を作ることにそれほど自分の熱意を見つけることができなかった。“ジェラルド・ボストックにいったい何が起こったのか? そしてセント・クリーヴ新聞に何か起こったのか?って思う”と質問されたのは2010年のときだった。それからわたしは、ジェラルド・ボストックに起こったかもしれないことに関していくつかのオプションを調べるのは面白いだろうと考えた。そしてわたしたちが起こったかもしれないことを考えるとき、わたしたちすべての人生のメタファーになると思ったんだ。単に40年前に懐古的に戻るのではなく、現在にはめ込まれたパート2を書くのは面白い企画だった」

――『ジェラルドの汚れなき世界 2』を買ってすぐ、〈www.stcleve.com〉のアドレスに気がついて、そのサイトに行きました。アートワークのコンセプトはどのように発展させたのでしょうか?

「わたしは、今日までに変化した小さな町の生活の地理的な社会問題を見たかったんだ。40年前には、地域社会に影響を及ぼしていた小さな新聞があった。しかし現在はそのほとんどがなくなってしまっている。けれども、地方紙が40~50年前に行なっていた同じようなやり方で地元の地域社会を反映する、村や小さな地域のためのオンライン新聞やウェブサイトは増え続けている。だからオリジナル・アルバムのジャケットが、数多くの小さな町の新聞をリサーチした後に生まれたのと同じように、いろいろなリサーチから生まれたんだ」

――ここにあるEメール・アドレスや電話番号はすべて本物ですか? こうしたものを通じてあなたにコンタクトしていますか?

「いくつかは本物だった。けれども人々はそこにアクセスしてきた……参加する気持ちだったのだと思う。しかしいくつかはあまりにも不愉快であまりにもバカげたものだった」

――スティーヴン・ウィルソンはどのくらいこのサウンドに関わっていたのですか?

「スティーヴンは、その年の早く、『アクアラング』とオリジナルの『ジェラルドの汚れなき世界』をミキシングしていた。だからその続編のミキシングやマスタリングに関わりたいかどうかを彼に聞くのは論理的なことだったんだ。わたしたちは、オリジナルのサウンド的な価値を保とうというラインに沿ってレコーディングを始める前に話し合いを持った。だから同じ楽器編成……そして多くの場合、実際に同じ楽器を使った……でいくという選択だった。同じギターとか同じオルガンではないが、同じ種類、同じブランド、同じモデルということだね。わたしたちは、レコーディングで同じようにオーガニックなサウンドのクオリティを持たせるようにしたかったんだ。また、わたしたちはライヴ感も保とうとした。だからわたしたちは終わりまで通してリハーサルをして、それから全部プレイできると確認してからレコーディングに入ったんだ。オリジナルを作ったときとほとんど同じやり方だ。だからスティーヴン・ウィルソンは、オリジナル・アルバムのマルチトラック・マスターと全く同じかたちで送られたマルチトラック・マスターを得たんだ。彼は、『ジェラルドの汚れなき世界』に数ヶ月早く取り組めたから、ミキシングの最終的な技術と同じタイプのものを使うことができたと思う」

――あなたは、ジェスロ・タルとしてではなく、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンとして公演を行なっています。それはどうしてでしょう?

「もしチケットにジェスロ・タルと記載したら、一部の人たちは、最近のものとして見ないで、たとえば、ローリング・ストーンズのコンサートに行くように、そのバンドの常によく知られた20曲を聴けると期待するという恐れがある。それはわたしたちが演奏するものではない。わたしたちは、明らかに非常に特定の楽曲を演奏しているんだ。ステージで『ジェラルドの汚れなき世界』のオリジナルと『2』を通して演奏するには2時間以上かかる。そしてアンコールを挟んだら、真ん中に15分の休憩を挟み、長いショウになるんだ。彼らが『ジェラルドの汚れなき世界』ツアーを観にくる際には、オーディエンスはそれを評価してほしいと思っている。2曲のシンフォニーを演奏しているのと同時にシェイクスピアの演劇を行なっているようなものなんだ」

――すべてのパートをライヴでどのように行なうのですか?

「ライヴでそのプロセスを音楽的に体験させるということを始めようとすると、わたしがレコードでやったことをできない部分をカヴァーするためにはステージにアディショナル・パフォーマーが最初から必要であるということだった。わたしはもう一人のフルート奏者やアコースティック・ギタリストを見つけたいとは思っていなかったから、アクター、シンガー、そしてパントマイム・アーティストのすべてをカヴァーする誰かを見つけるのはもっと簡単のことのように思えた。そしてわたしのある種分身の役目を果たすためにライアン・オドネルという若者を選んだ。彼は、我々のキーボード奏者であるジョン・オハラが音楽監督を務めていた『四重人格』のミュージカルのツアーを行なっている劇場に出演していたんだ。そしてわたしたちは、オリジナルのパフォーマンスの要素を保ちながら、現在にも十分に通用させようと、ステージでいいチームワークを見せ、それを発展させた。また、マルチメディアも使って、音楽と融合させるいものと関連したさまざまなヴィデオ用にステージ後ろの大きなスクリーンを使用した。ヴィデオのいくつかのセクションは、いくつかはユーモラスに、またいくつかはもっと謎を含んだやり方で、ストーリーを説明したものなんだ」


JETHRO TULL’S IAN ANDERSON Plays THICK AS A BRICK
◎日程: 4月15日(月)
◯会場:大阪・サンケイホールブリーゼ
◯開場/開演:18:30 open /19:00 start

◎日程: 4月16日(火)
◯会場:東京・TOKYO DOME CITY HALL
◯開場/開演:18:00 open/19:00 start

◎日程:4月17日(水)※追加公演
◯会場:CLUB CITTA’
◯開場/開演:18:00 open /19:00 start 
 
詳細は以下のURLのページにて
http://www.udo.co.jp/Artists/IanAnderson/index.html
http://clubcitta.co.jp/001/ian-anderson-citta/